胎動期
社会人1年目。働くことの意味を知り、トップセールスマンの地位を確立
私の社会人のスタートは、日本オリベッティ株式会社でした。オリベッティはタイプライターの製造・販売を行うイタリアの会社です。私は理工学部出身なので技術職を希望したのですが、採用されたのは技術系の営業職。
オリベッティでは、新入社員は一年間びっしりと研修を受けるシステムになっており、当時の私は「勉強してお金がもらえるなんてラッキー」などと不肖なことを考えていました。
しかし、翌年に講習会の講師を務めることになった時、大勢の聴衆を前にして、私は初めてお金をもらうことの意味を知りました。私はこの場から逃げることはできない、彼らの要望にしっかりと応えることが、ビジネスマンとしての責務なんだ、と痛感したのです。
私はその後、沖縄の営業所へ赴任することが決まりました。営業1年目でトップの成績を残し、ヨーロッパ旅行と特別ボーナスをもらうなど、在籍期間中はノルマを100%達成しました。
創生期
独立。苦悩、そして社長職に就任。試行錯誤しながら会社規模を拡大。
その後も順調に営業活動を展開していましたが、私が28歳の時、オリベッティが沖縄から撤退することになりました。
当時いた沖縄営業所の同僚と、このまま沖縄に残って独立するか、会社の方針にしたがい転勤するか議論した結果、私を含めて総勢6名で起業する決断をしました。こうして1980年1月10日、株式会社okicom(旧、沖縄コンピュータ販売株式会社)は誕生したのです。
創立当初は、オリベッティ時代に販売したシステムの保守メンテナンスや、新しい商品の販売を手がけていましたが、一番苦労したのは社内の統率です。社長職は先輩から順に初代3年、2代目2年と務めてきたのですが、なかなかうまい仕組みづくりが見つかりません。
そして1985年1月、私が3代目社長に就任しました。社長としての営業力、リーダーシップ、決断力が問われる中で、試行錯誤を繰り返しながら徐々に会社の規模を拡大し、2000年には社員が50名超、売り上げも創立当時の1億円から7億円になっていました。
安定期
開かれた会社を目指し経営理念を作成。夢は大きく、沖縄から日本全国、海外へ
私が社長にして5年経ったころ、社員に開かれた経営を行わなければならないと思い、経営理念などの指針を作成しました。
チャンスは考働するものにのみ平等であることを理解し日々自己研鑽に励み準備を怠らない信用を重んじ、社会に役立つことを大きな喜びとする
業務の上では、他社製品の販売やサポートだけではなく、オリジナルソフトの開発にも力を注ぎました。その一例が、土木専用CADのADDシステムや地理情報システムGISの開発です。
会社の経営はもちろん大切ですが、夢がなければ仕事はおもしろくない。そんな私たちのロマンを賭けたオリジナリティあふれる製品を、沖縄だけではなく本土や海外まで提供していきたいのです。
発展期
ADD、GIS、ASP・SaaS型ー新たな戦略の推進と経営理念の徹底を図る
GISは、今後も私たちの経営の核になるでしょう。弊社は、行政が保有する地理空間情報のデータをインフラとして公開し、さまざまな用途に役立てる「沖縄地域マッピング構想」を10年以上前から提言しています。
この構想が実現していけば、私たちだけではなく県内の全企業にとってビジネスチャンスが拡大し、若者の発想で新ビジネスが生まれる可能性もあるのです。
戦略の推進と合わせて、経営理念を社員に伝える活動を徹底しています。経営理念を掲示して、毎朝朝礼で唱和を行うなど、全社員で価値観を共有して行動していきたいと思っています。
中でもこれからは、経営理念の後半にある「信用を重んじ、社会に役立つことを大きな喜びとする」ことが重要になってくるでしょう。技術面、サービス面での向上を図りながら、この言葉の持つ意味について全社員が心から共感できるようになってほしいと願っています。